2010年12月17日

私の東南アジア史観2

 「私の東南アジア観」を書いてから5年。この間、私は、タイ国駐在・留学、ラオス・ベトナム・ミャンマー・マレーシア・シンガポール・インドネシア・フィリピンの視察周遊を経験し、東南アジア観に変化があった。
以前、私は東南アジア理解のキーワードとして「文明の三原色」、すなわち①シナ文明色、②インド文明色、③西欧文明色を提唱し、これらの混ざり具合を見ることが、東南アジア理解の鍵だと述べた。また、タイ、マレーシア、シンガポールは、「文明の三原色」が比較的バランスよく混合された地域であると考え、タイとマレーシア・シンガポールの違いについては、文明色の混ざり具合が異質であることに起因していると述べていた。
 しかし、5年の間に自らの説に釈然としないものを感じるようになり、その原因を突き詰めるうち、「文明の三原色」に含まれないもうひとつの「文明色」の存在を認めるに至った。「イスラム文明色」である。これを含めた「文明の四原色」でなくては、真に東南アジアを理解することはできない。ただ、「イスラム文明色」は他の三色に比べ特殊で、他との融合が難しい。マレーシア・シンガポール・ブルネイ・インドネシアには多くのムスリム(イスラム教徒)が存在する。タイ南部の一部にもムスリムが多く居住する地域があるが、その数は総人口のほんの5%程度にすぎない。これがマレーシア・シンガポール・ブルネイ・インドネシアがタイに比べ、文明融合が進んでいない原因ではないかと思われる。


同じカテゴリー(東南アジア)の記事
 ラオスのムアンシンにて (2010-12-31 01:27)
 私の東南アジア史観3 (2010-12-17 11:19)
 私の東南アジア史観1 (2010-12-16 17:16)

Posted by ジパング at 11:18│Comments(0)東南アジア
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。